れいわ新選組「木村英子 一年の軌跡」地域で障がい者が生きられる政策を実現したい

れいわ新選組 木村英子 一年の軌跡

木村英子参議院議員、一年の活動を振り返って

れいわ新選組 公式YouTubeチャンネルにて、2020年10月25日、木村英子参議院議員の一年間の活動をまとめた動画「木村英子 一年の軌跡」が公開されました。
木村英子さんは、2019年7月21日の参議院議員選挙で、れいわ新選組から特定枠で初当選。当選後は、重度障がい者の当事者という立場から、様々な提言をしています。

この記事では動画を元に一部要約して、議員になるまでの経緯と議員になった後の活動を振り返ります。動画には字幕がついていますので、ぜひご覧ください。

れいわ新選組や木村英子さんを知らない多くの方にも伝えていきたいので、テキスト版として紹介させていただきます。

施設から地域に出て、自立する道を選ぶ

木村英子さんは、1965年、神奈川県横浜市で生まれました。生後8か月の時、自宅で歩行器ごと玄関から土間に落下。 この時、脊髄(せきずい)を損傷。脳性麻痺によって障がいを負い、18歳までの大半を施設で暮らすことになりました。 施設での暮らしは、職員による虐待などもあり、過ごしやすいものではありませんでした。

18歳までを施設と養護学校で過ごした木村さん。その後も、介護を必要とする重度障がい者は、家族が介護ができない場合が多く、学齢期が終わっても施設しか生きていく場所はありません。

「私が普通の生活を望んでも、それは罪じゃないんじゃないかっていう風に思った時に、いつか出ようって思いまして。」木村さんは、思い切って地域に出る道を選びます。そこで木村さんが頼ったのは、当時東京の国立市で、重度障がい者が地域で生きるための「自立の家」の活動をしていた三井絹子さんでした。

木村さん:
「まず自立の練習から、ほぼ活動みたいなものでして。まず(地域の人に)知ってもらわなきゃいけないので、まずビラを書きまして。自分がしてもらいたい支援、例えばトイレとか着替えとか買い物とか手伝ってくれる人を募集してますっていうビラを地域でまいたり、自分に関わってくれる人を探すわけですね。だから、ボランティアが見つからない時は、(家に入れなくて)本当に車椅子用の電話ボックスの中で一夜を過ごす時もありましたし。トイレとかは街行く人に頼んで、トイレをさせてもらったりとか。本当にすれ違いざまに出会った人たちに、その時その人がしてくれる支援というか、好意をいただいて、それをつないでいって、やっと生活をつくっていくという。」

こうして地域に飛び出し、試行錯誤の中で自立生活を始めた木村さん。1994年、自立を夢見ている障がい者を、施設や親元から一人でも多く地域へ送り出すために、自らも多摩市で自立ステーションつばさを設立。現在にいたるまで「自立の家」の活動を続けてきました。

議員になった経緯。山本太郎さんとの出会い

自ら経験し、感じた障がい者政策に関する矛盾。その問題点を解決すべく障がい者の自立支援活動を続ける中で出会ったのが、れいわ新選組代表の山本太郎さんでした。2019年6月、公示まで1か月を切った中で参議院選挙出馬の打診を受けます。

山本太郎さんは、公認候補者発表記者会見で「国会がどんな人に対しても敏感に反応できる場所であるべきだと。そのためには、やはり木村さんのお力が、私には、国会に必要だと。」と紹介。

木村さんは、当時の想いをこのように語りました。
「結構すごく悩んだんですよね。『この私が国会議員?』っていう。どうしようと思って。でも、どうしても障がい者の人が政治に関わった方がいいっていうことは、自分の中に確信があったので。太郎さんがすごく、その、本当に困っている人たちが、この社会で安心して生きていける社会にしたいという強い信念がありましたので。それにすごく感銘を受けて、山本太郎さんだったら一緒にやっていきたいというか。やらせていただけるならありがたいなと思ったので、覚悟を決めました。」

国会議員になってからの活動

当選後、重度訪問介護制度の問題にぶつかる

現在、地域で生きる障がい者のための介護支援制度である「重度訪問介護」は、重度障がい者の生活全般の介護を提供する制度となっています。しかし、就労就学などの社会参加を認めておらず、重度障がい者はこの制度を使って、学校に行ったり働いたりすることができません。

木村さんは国会議員に当選した際、この問題の解決を求め、仕事、つまり議員活動においても、重度訪問介護が受けられるよう各所に申し入れを行いました。が、厚労省は、登院しての議員活動もサービスの対象外であるとの見解を崩しませんでした。

木村さん:
「そもそも重度の人が働くっていうことを認めてないんだと思うんですね。それぞれに能力もありますし、可能性もたくさんあると思うんですけど、それを生かすことができないのは、社会の中に障がい者が生活したり仕事をしたり、就学して学んだりっていう環境がまず整っていないということを、私なり舩後さんが国会議員になったことによって、皆さんに現状を知ってもらったということなんだと思います。」

この状況を受け、参議院議院運営委員会は、議員活動中の介護サービスに関しては当面の間、参議院が負担することを決定しました。 しかし、重度訪問介護制度の問題は残ったままです。木村さんは障がい者の就労の改善に向けて、今後も国会で話をしていくことを伝えました。2019年10月には、木村さんと舩後やすひこさんが共同で「介助をつけての社会参加を実現するための院内集会」を開催。当事者団体や国会議員、厚労省課長職が参加しました。

変わっていく国会。国土交通委員会でのバリアフリー政策の提言

参議院では木村さんと同じく、れいわ新選組・舩後やすひこ議員の当選を受け、急ピッチで施設内のバリアフリー化が進められました。 参議院本会議場には、スロープが設置されました。

木村さんは国土交通委員会において、健常者の目線からは見えてこなかった視点で社会的バリアを指摘し、改善を求めていきました。

多機能トイレの広さについて、大型の車いすや介助者が付き添う場合でも使いやすいようガイドラインの見直しを要望しました。これにより「高齢者、障害者等の円滑な移動等に配慮した建築設計標準の改正に関する検討会」が立ち上がりました。

また、新幹線の車いすスペースについて、数が足りないことと、障がい者が利用当日に新幹線の車いすスペースの予約をする場合、実際には予約ができないケースが頻発している現実を訴えました。結果的に国交省は、車いすスペースを新幹線1編成あたり1~2席から6席に増やす意向を公表。利用当日も車いす利用者が優先的に購入できるよう制度が改定されることになりました。

その他にも、駅のホームでの障がい者の転落事故を防ぐ対策や、災害時の避難所のバリアフリー化、改正バリアフリー法に追加された「心のバリアフリー」に関する提言なども行いました。

国会議員二年目に向けて

国会議員二年目に向けて、木村さんはこのように語っています。

「やっぱり私は、重度訪問介護が、居宅の、家の中の介護だけではなくて、健常者の人と同じように社会参加が当たり前に保障される制度にしていきたいという風に強く思っています。障がい者の人は保護を受けていくだけではなくて、自分から社会参加して、自分が社会の一員として、可能性を活かしながら役割を持っていくということは、生きがいにつながると思うんですよね。誰でも社会に必要とされたいって思っていると思うんですよね。どうしても私の心の中にというか、潜在意識の中には、障がい者が地域の中にいたら、迷惑をかけてしまうんじゃないかっていう思いがありますので、これからの障がい者の人には、地域に出てきて自分は迷惑な存在じゃなくて、社会の一員として、構成員の一人として、必要なんだっていう社会が実現できたら、本当にそれが私の夢ですね。

当事者だからこそ見える課題を積極的に提言

動画の撮影後にも様々な提言や発信をしています。

  • 国土交通委員会質疑『車いすユーザーのUDタクシー乗車について』
  • 国土交通委員会質疑『車いす専用駐車場のバリアについて』
  • 国土交通委員会質疑『コロナ禍のGoToキャンペーンにおけるしょうがいしゃの生活への影響と現状について』
  • 外国特派員協会記者会見
  • 『新型コロナウイルス Q&A』

木村英子さんのサイト内の「活動レポート」にまとまっていますので、是非ご覧ください。
広報誌「えいこのかけはしだより」(2020年夏号)でも活動内容がわかりやすく紹介されています。

参議院選挙 公認候補者発表記者会見をもう一度

2019年6月28日、れいわ新選組の公認候補者として出馬する発表記者会見の様子です。覚悟の原点。

木村英子 インフォメーション

参議院議員として精力的に活動している木村英子さん。各種SNSや、ご自身のサイトでも詳細を発信しています。木村さんの公式サイト、「音声・ルビ」付にもできるやさしいデザインなんですよ。

「しょうがいしゃがあたりまえに生きられる社会」を目指して、一緒に活動してみませんか? 公式サイトでは会員募集です。

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